にぃに感想‐美化しすぎず②

 前回の続きです。昨年は亮ちゃんの演技のことをまとめて書いてみたりしましたが、今度書くのは、脚本とか演出とか、またちょっと亮ちゃんの演技のこととか、ビジュアルのこととか、内容があっち行ったりこっち行ったり、行き当たりばったりな感じになるかも。



 「にぃに」に関しては、覚書を書きながら、自分なりに真剣に浩輔君やご家族に思いを馳せたつもりですが、恵介君絡みの感想を書く際に、若干不謹慎な点があったらごめんなさい。



 さて、順番が前後するけど、インパクトのある「やらせろ発言」から始めさせて頂きます。



 これ、うら若い乙女が「きゃっ亮ちゃん、そんなこと言っちゃイヤ〜」とか言うなら分かるの。でも大人の方が眉をひそめたのだとしたら、ドラマを断片的にしかご覧になっていないに違いない、と思ってしまった。




 15から23でしょう?そういう思春期真っただ中のボーイズの感覚は、異性の身では分からないけれども、たいそう切実なものだと聞きます。そういえば、昔も今もそういった方面への熱情溢れっぱなしの25歳褐色青年を見れば少し想像がつくかも。




 それが、ずっとベッドに縛り付けられて、死の恐怖に怯えながら、苦しい治療に耐えていたわけでしょう。病状が安定して、大学に行っていた時も、いつ再発するかもしれないし、病気のことを言えず、女子とも、もちろん距離を置いていたわけですわね。




 そして、このセリフの時は、もう打つ手のない再発の後だったし。




 そんな凄絶に苦しい「思春期」を過ごしてきた恵介君が、ホープレスな状況で言うこのセリフは、とても自然だと思うの。




 恵介君の鬱屈はもちろん、性的なこと関連に留まりませんわね。デートはもとより、友達とドライブしたり、父親とお酒を飲んだり、バイトして給料もらったり、海外旅行に行ったり、…という誰もが当たり前のようにしていることが何一つできないという。




 何より、ただ生きていくことが許されないという。夢も力もある人なのに、当然与えられると思っていた未来が彼にはないという。頑張って頑張って苦しい治療に耐えて、ようやく完治したかと思うと、また再発して死に直面して、今度はもう後がない感じが自分でも分かるという。




 しかし、そういう諸々のデスペレートな気持ちを、詩織さんにぶつけるとすれば、このセリフがベストな気がします。恵介君が密かにドキドキの想いを寄せていて、それでも好きと言えない詩織さんだから。そして、このシーンで、性的なことばかりでなく、恵介君の心の闇全体が端的に(かつ色っぽく、とか言ったら怒る?)伝わってきたように思います。




 ちなみに、恵介君の病状を知っていた詩織さんが、このシーンの前に、点滴を確かめながら「あたしにできることがあったら、何でも言ってね」と言うあたり、セリフも言い方も、ちょっと偽善の香りが漂って、あのセリフを誘発する感じだったというか。あのセリフに自然につながる流れになっていて、違和感がなかった気がします。



 …と以上書いてきたことは、脚本・演出が良い感じ!ということなのだと思いますが、そういうものの良さが最大限に活かされ、あのシーンが非常に魅力的なものになった背景に、錦戸亮という人の資質があると思います(やっぱりそっちへ行ってしまうの)。



 というところで次回に続きます〜。