以前からオフ会の報告は慎重に、と思っていたのに、お調子こいてはしゃいで、i様に悲しい思いをさせてしまいました。ちょっとバタバタしていて、i様サイトのチェックが遅れてしまって。真っ先にコメントを書きに伺わなければいけなかったのに、と昨日から、しおれております。以下i様へのコメントにだだかぶりになると思うけど。


 i様は日記を始める時にお手本にさせて頂いた、心の師と仰ぐ方。それなのに、お辛い時に追い討ちをかけてしまいました。配慮が足りなくて、ごめん。今後はちゃんとします。


 諸事情でお目にかかれない方々とも、メールやコメントのやりとりでのお付き合いを、大切にしていきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。オフ会がらみではない、一般的なメールも常時お待ちしております。


 以下思いっきり私事なので、読まないほうがいいよ。


 数年前まで私も、家を開けにくい状況が続いていたの。主人が任地に発って、私が遅れて出発しようとした矢先、実父が脳梗塞で倒れて。いったん出発を延ばして様子を見たけど、すぐに命がどうこうという訳ではないから、やっぱり行きなさいと周りに言われたのね。日本を発つ前のラストのお見舞いの時、父は何とか病院の玄関まで来て見送ってくれて、振り返って見ると、いつまでもいつまでも手を振っているの。そんな父の姿がどんどん小さくなっていって。あの時はもう会えないかもしれないと思ってせつなかったな。書いている今も涙が出てきた。(どうでもいいことだけど、父は3月9日生まれで、イエローさんのようなお鼻(私は似ていない)だったの。長年、人の鼻とはああいうものだと思っていたから、イエローファンになりやすかったのかも)


 結局任地で戦争が起こったりして、予定より早く帰国し、リハビリをがんばって退院していた父と、6年間一緒に暮らすことができました。介護というほど、たいしたことはしていないんだけど、糖尿病でカロリー制限があって、昼食を作りに戻らないといけないから、家を開けにくくて。外には出られないけど、社会と何らかの形でリンクしたいと思ったから、在宅で翻訳を始めたの。子供も手がかかる時期だったので、寝る時間を削ることになって。社会とリンクしたいと思ったのは、○○ちゃんのママと呼ばれ続けることに、飽いていたのかもしれません。自分の名で何か仕事をしたかったのかも。その合間に子供の勉強もみたりして、どれも手を抜けなくてねー。


 そんなこんなが今全部過ぎて(父のことでは心残りも多いけど)、大手を振って外に出られるようになったもんだから、(上記のように)お調子に乗っちゃったのよ、という長ったらしい言い訳でした。へへ。


 照れ隠しに全然関係ないことをひとつ。

 「ひやしあめ」のように地域限定の飲食物に、横浜の「サンマーメン」というのがありますが、これが何だかご存じ?横浜の方は、何よ改まって、と思われるかもしれないけど、これ、他地域の方は知らないのよ。最近どこかのグループの歌の歌詞にあると聞いたので、ご存じの方が増えたかな。字で書くとそんなことはないけど、口頭で「サンマーメン」って知ってる?と聞くと、「なーに、サンマの飴?」って言う方が多いよ。答えは次回。