にぃにのことを忘れないで3

 亮ちゃんの演技のことに辿りつける日は来るのか…と思いつつ、昨日の続きです。

 






 家に戻って部屋に駆け上がると、分厚い東大の赤本をぶつけて窓を割り、物に当たり散らして暴れる恵介。病院から駆けつけた母が「止めなさい」と後ろから組み付きます。



 「入ってくんなよ!」
 「病院に戻ろ」
 「どうせもう俺は死ぬんだよ!」
 「何、バカなこと言ってんの。ね、もう一度母さんと一緒に頑張ろう!」
 「頑張る?俺は今まで散々頑張ってきたよ。それぐらい分かってんだろ。これ以上どう頑張れって言うんだよ…」
 「辛いかもしれないけどね。今は病気と闘おうよ、ね。必ず恵介なら勝てるから。母さん、絶対、諦めないから。どんなことしても恵介の病気、必ず治してみせるから」



 「あんたのそういうところがむかつくって言ってんだよ!」



  そう言って母を突き飛ばした恵介は、嗚咽まじりに叫ぶのでした。



 「四六時中人に付きまとって頑張れ、頑張れって。必ず治るからって。そういうのが、どれだけ人のこと苦しめてるか分かってんのかよ。もう、うんざりだよ。俺はあんたのそういう恩着せがましいところが昔から大嫌いなんだよ!」



 「母さんを責めて気が済むんなら好きにしなさい。でも母さん、どんなことをしても、あんた病院に連れ戻すから、どうしても嫌っていうんだったら母さん殴ればいいでしょう!」




 そう言った母を恵介は本当に、初めて、殴ってしまいます…。





 お母さんに何てことするの、という祖母を「うるさい!」と突き飛ばし、止めようとした優治も「どけよ!」と振り払って、部屋から出ていこうとする恵介。泣きながら後ろからしがみつく優治。揉み合ううち倒れてしまった恵介に馬乗りになったまま優治は叫びます。




 「やめてよ、にぃに。こんなのにぃにらしくないよ。」




 「…にぃになんかじゃないよ。俺はお前が好きだったにぃになんかじゃないんだよ、もう…」

 そう言って優治を払いのけ、泣き伏す恵介…。




 しかし、帰宅した父は、部屋の惨状を見ても、あぁ、また、派手に暴れたなぁ、窓もこんなんなっちゃって、まあどうしましょ、といつもの調子です。




 父さんは何で俺が病気になってもくだらない駄洒落を言ってヘラヘラしていられる訳?と言う恵介に、父は、いつもの自分でなくなるのが、何か嫌なのだと、お前の病気に負けるみたいで、悔しいのだと答えるのでした。そしてお前が一番辛いのは良く分かっている、でも、男ならせめて自分だけは見失わないようにしないか、と諭します。




 一方、階下の母は、もうどうしていいか分からない…、馬鹿の一つ覚えみたいに恵介に頑張れとしか言えない…と落ち込みます。しかし、祖母は、確かにテレビで病人にあんまり頑張れって言わない方がいいって言っていた、でも他に何て言ったらいいんだよ、母親が子供に頑張れって言っちゃいけないなんて言うやつがいたら、私と優ちゃんでぶっ飛ばしてやるから、と言うのでした。




 「にぃに…」

 気付けば階下に降りてきていた恵介。



 「行くよ」
 「どこに」
 「病院に決まってんだろ」





 …母を初めて殴ってしまったことを結局謝れなかった恵介でしたが、そのかわり、もう病気から逃げるのはやめよう、二度と皆を悲しませるようなことはしない、と心に誓ったのでした…。




 その甲斐あってか、2007年5月、再び病状は安定し、しばらくは通院で大丈夫だと医師から言われます。しかし、「このまま治るということはないんでしょうか?」という母の問いに、医師は、次の再発は1年以内に起こる可能性が非常に高いと、その時は回復の可能性はほとんどないと告げるのでした。「それは恵介にはもう時間がないということですか?」と尋ねる父。医師は「残念ですが…」と答えます。




 先生はああおっしゃったけど、私は諦めない、まだ何か他にいい薬があるはずよ、他の治療法をやっている病院も調べてみる、あの子のためにここでくじける訳にはいかないわ。自分に言い聞かせるようにそう言う母に、父は、これからは恵介の好きなことをやらせてやらないか、と提言します。




 もし時間がないのなら、そうしてやるのが親の役目のような気がすると。「何言ってんの?諦めろって言うの、あの子のこと?!」と驚く母。「そうじゃないよ。そうじゃないけど」と言葉を継ぐ父。人生で最も輝いているはずの青春という時季に、ずっと病気と闘い続けて、やりたいことは全部我慢してきた息子の夢や希望を、少しでもいいから叶えてやりたいのだと。




 「それでも生きていてくれれば…」



 「病院のベッドで毎日治療ばっかりしているのが生きてるって言えるのかな…」。




 別の治療法を探して、残されたわずかな時間にまで恵介を病院のベッドに縛り付けるよりは、少しでも「生きて」ほしい…という父の思い。母もそれを何とか受け入れた様子でしたが、やはりそれは無為に再発を、死を待つことでもあり。何とかして、どういう形でも生きていてくれる方法を…可能性はたとえ1%でも、ゼロでない限り…という思いもすぐには捨てきれなかったであろう母には、辛い選択だったことでしょう。




 こういう時物事を俯瞰できるのはやはり男親なのでしょうか。しかしそれが生きるのは、日常のきめ細かい継続的な母親の努力があってこそなのかもしれません…。


≪続く≫