にぃにのことを忘れないで4

 またまた前回の続きです。





 恵介の退院後、さっそく一家は箱根に出かけました。



 楽しい時間の合間にも恵介の死へのカウントダウンは静かに進んでいる…。時折涙ぐみそうになる母。それを気遣う父。



 いつもと違う展開に「ね、何かあった?」と恵介もいぶかしげです。



 「何で?」
 「だって、いきなり旅行しようとか言い出すから…」
 「だから退院祝いだって言ったでしょう?それに、ほら、あんた前から温泉行きたいって言ってたし」
 「…そうだけど…」



 そして、船盛りの豪華なお造りが並ぶ夕食の席で、恵介、もう一度大学を受験してみないか、と父が切り出します。



 「無理だよ。今から東大なんて…」
 「別に東大にこだわらなくても、好きな物理を勉強できる大学を受験すればいいじゃないか」
 


 いや、でも…と躊躇う恵介に、クマンバチのストラップを手渡す母。




 「恵介、言ってたじゃない…。クマンバチみたいに奇跡を起こしてみせるって。今まで頑張って来たことを無駄にしないためにも、お父さんの言う通りにしてみたら?」
 「そうだよ、にぃに。東大じゃなかったら僕も同じ大学に行けるかもしれないし」
 「何だよ、それ」
 「今度さぁ、お祖母ちゃん、神社にお参りに行った時にね、お守りもらってきてやる、で、その時ついでに、恵ちゃん以外の受験者はみんなきれいさっぱり落っこちるようにっ て、お願いしてきます」
 「ばあちゃん、めちゃくちゃだよ?言ってること」
 「あらそうでした?」



 …一同から笑いがこぼれます。



 クマンバチを見つめて考える恵介。見守る家族。やがてクマンバチを握り締め、意を決したように顔を上げて、恵介は「分かった」と言うのでした。




 こうして恵介は22歳になってようやく大学一年生になります。恵介は、治療を続けながら、失った時間を取り戻すように、勉強やサークル、合宿にコンパと大学生活を楽しむのでした。




 キャンパスのベンチでの談笑、外国人の先生の英語での授業、赤いシャツでハーイと手を挙げた合コン。恵介コールに応えて見事ストライクを叩き出したボーリング。波でハーフパンツが塗れてしまった海辺、浜辺の花火。




 でも心のどこかで恵介はいつも孤独を感じていました。




 東大に行けなかった悔しさと、友達に病気のことを打ち明けられないもどかしさで…。




 雑貨屋で友達とは距離を置いて、砂時計の青い砂が流れ落ちるのを見つめる恵介。どこかでそれを自分の命と重ね合わせていたのでしょうか…。






 病気のことは隠す必要がないのに、恵介が一番大事なことを話せない人が一人いました。看護士の詩織です。




 病院で向こうからやって来る詩織の姿を見つけて柱の陰に身をすべりこませる恵介。しかし恵介に気付いた詩織は柱の反対側から不意に恵介の前に現れます。



 「終わったの?今日の治療?」
 「うん」
 「どう?大学は?」
 「そんな無茶ぶりされても、答えようがないっていうか」
 「相変わらずだね……物理君」
 「その、物理君ていうの、止めてくれないかな」
 「あっねぇねぇ、大学で好きな子できた?」
 「同級生っつっても三つも年下だからみんなガキばっかで」
 「そんなこと言ってると一生彼女できないよ〜。結構モテルと思うけどな〜。結構イケテルし」
 「俺は自分が本当に好きになった人としか付き合う気ないから」
 「じゃあ、どういう人がタイプなの?」
 「いや、それは…だから…それは…」



  言い淀むうち、視界が揺らいで、目をこする恵介。




 「どうしたの?具合悪いの?」
 「何でもない」
 「本当に大丈夫?」
 「何でもない! …帰らなきゃ…」



 心配そうに見送る詩織の視線を背中に感じながら、恵介は思っていました。



 「もし僕が病気じゃなかったら、素直に好きって言えたんだろうか…」




 病院から帰る道、自転車を押しながらアーケード街を通る恵介には、やけにカップルの姿が目に付くのでした。




 しかし、その後、視界が大きくぐらついて、恵介は自転車を手放し、路面に倒れこんでしまいます…。


≪続く≫