にぃにのことを忘れないで・ラスト
ストーリー覚書のラストです。お付き合い下さった方、そして、温かいスター(ハロウィンのかぼちゃと言うべきかしら)を下さった皆様、本当にありがとうございました。
夜、恵介の部屋。力を振り絞って起き上がった恵介が夜空を見上げると、星がひとつ流れます。
「僕が亡くなっても、家族みんなが、しあわせでいられますように」
瞳を潤ませ、かすれ声で願った恵介の横顔は、穏やかな微笑みをたたえ、やがて祈るように目を閉じて恵介はうつむくのでした………。
と、突然、大切なことを思いついたように目を開ける恵介。
うすく口を開けて、そこにはないものを見ているような表情になり、なんとか携帯を取り出した恵介は、背中を丸め、両手で携帯を押さえて、必死に文字を打ち込みます。
母さん、やっとわかったよ
ぼくがなんのために生まれてきたか
ぼくは
痙攣し始めた恵介の手…。恵介の顔に一瞬泣き笑いのような表情が浮かびます。
………ぼくは………。
大きくなる震え。ぼやける画面。続きを打つことができないまま、携帯は手から落ちてしまいます…。
一瞬泣きそうな表情になってうつむき、そのままがくがくと震えて、ベッドからどさりと落ちる恵介……。
……母からの知らせを受け、優治はユニフォームのままアルバイト先のコンビニを飛び出すのでした…。
病院。もうできることはないと告げる医師。
最期は人工呼吸器など付けずに静かに逝きたい、という恵介の願いに添って、酸素マスクがそっと外されます。立っているのもやっとの様子で口を押さえ、嗚咽する母。涙を流しながらその肩を支える父。
「何かありましたら、いつでもお呼び下さい。それでは失礼します」
「ありがとうございました」
母はベッドに近寄って意識のない恵介の手を取り、涙で呼び掛けるのでした。
「ほんっとによく頑張ったね〜。恵介〜。もうゆっくり休んでいいよ〜」
と、恵介の手に力が入ります。
はっとする母。
「恵介? どうしたの?」
「母さん…」
「何?」
「やっと…分かったよ…」
「何? 何が分かったの?」
「ぼくが……ぼくが……」
「うん… 何? 何て言ったの? 恵介?!! 恵介?!!」
……恵介のバイタルサインが消えます……。
「恵介?! 恵介〜!!」 恵介の髪を撫でさすり、顔にすがりつき、手に頬ずりして、イヤイヤをするように号泣する母。泣きながらその肩を抱く父…。
母さん、やっと分かったよ。僕が何のために生まれてきたか。
いつか母さん、言ったよね。その答えを決めるのは自分自身だって。
僕はきっとみんなを愛するために生まれてきたんだ。
父さんを、祖母ちゃんを、優冶を、そして、母さんを。
父さんはいつもヘラヘラ笑って、寒い駄洒落ばっかり言っていたね。でも、今なら分かるんだ。父さんの本当の強さが。父さん、僕が一番尊敬しているのは、父さんです。僕は父さんみたいな男になりたかった。
祖母ちゃんは、僕のために何度もお百度参りしてくれたね。祖母ちゃんのおかげで、僕は大学に入ることもできたし、23歳まで生きることができました。ありがとう、祖母ちゃん。
優治。こんなダメなにぃにのことをずっと好きでいてくれてありがとう。本当は、にぃにの方がおまえのことを大好きだったんだ。素直になれなくて、ごめんな、優治。
母さんには心配ばかりかけたね。母さんはどんな時も僕をいっぱい愛してくれたのに、そんな母さんの気持ちが全然分かっていなかった…。ひどいことばっかりして、何もしてあげられなかった……。
ある晴れた朝。家の前には今も恵介の自転車。朝食を済ませた父が、優治が、微笑む遺影の恵介に笑顔で「いってきます」と呼びかけて、出かけていきます。
掃除機を持って恵介の部屋に入る母。
カーテンを開け、窓を開けると良い風が通ります。
そのままにしてある部屋を見回す母。壁の宇宙のポスター。パーカー。キャップ。ニット帽。東大の赤本。参考書。ビートルズのCD…。想いを払うように母は掃除機をかけ始めるのでした。
チェストの上には、たくさんの写真。病室でピースサインの恵介。箱根の家族写真。高校合格の母子。茶のジャケットで微笑む恵介…。
ふと部屋の隅に何かが落ちているのを見つける母。…クマンバチストラップの付いた恵介の携帯です。
ごめんね、母さん。僕は母さんに一番言わなきゃいけないことを言えなかった。
床にしゃがんで携帯を開くと、未送信メールありの文字。
未送信BOX
7/8 母さん
母さんへ
はっとして母はメールを開きます。
母さんへ
僕は、母さんを
一番愛しています
‐END‐
携帯を見つめて、床に座り込んで、笑い、そして、泣く母。
写真の恵介の笑顔と、携帯の文字を見つめては、携帯を胸に押し当て、身をよじって、母は泣き笑いを繰り返します。
やがて笑顔で涙を拭い、窓の外の空を見上げる母。
静かに風が渡っていきます……。
≪完≫