何と言っていいか分からないけれど

 お久しぶりです。家のことが少し落ち着いてきて、そろそろリハビリ的に何か書こうかなと思っていたら、3.11が来て、あまりのことに言葉を失い、立ちすくんでいました。




 まだ何と言っていいか分からないけれど、このことを胸に刻みつつ前に進むために、まとまらないままに今の気持ちを書いておこうかと思います。皆様の痛みをなぞるようなことになったり、不適切な言い方になっていたりしたら、ごめんなさい。




 それから、ずっと休んでいたものだから、書きだすのに時間がかかって、既にいつもと変わらぬ明るさを届けてくれているお友達のブログとタイムラグがあるのもご容赦下さい。












当日の夜、岩手県のご実家と連絡が取れなくて心配、というお友達のメールを頂いていたのだけれど、翌日目に飛び込んできた映像は、想像を絶する、あまりに圧倒的なもので、こちらから続報を尋ねられるレベルではないことを知りました。お友達もこの映像を見ているのか、ショックで倒れてしまっているのではないか、と思いました。




 暗澹たる気持ちの二日後、ご実家の皆様の無事が確認された、とお友達からメールがありました。連絡は依然取れないけれど、高台に避難されている様子が偶然テレビに映ったということでした。よかったよかったよかった…。返信しながら、すごい、良くぞ、そのシーンを見ていらしたな、テレビはそういう役割も果たすのかと思いました。




 ほっと息をついたものの、その後もテレビで続々と映し出されていく被害の大きさ、むごさ、特大見出しの続く新聞で報じられるたくさんの被災者の方々の叫びに、胸がつぶれる思いでした。




 被災地の方がこんなに大変な思いをしているのに…。当初は電車が止まったりしたけれど、被害の少ない首都圏で常態に近い日を送れることが、すごく申し訳なく思いました。



 

 時にメディアは胸打つエピソードも伝えてくれました。特に、報じられる青少年のまっすぐな様子には目を見張りました。




 涙の答辞のりっぱさ、健気さ。避難所で自主的にトイレの清掃、水の管理、誘導をかってでているという中学生。何もなくなってしまったと涙を流すお年寄りに、「僕達が元に戻しますから」と言って背中をさする少年たち。9日間、お祖母さんと命を守り抜き、救助された瞬間、差し出された救助の品を受け取る前に、お祖母ちゃんを助けてと言ったという寡黙な少年の強さ。




 逆境でも人を思いやる社会で育てられたから、こんなに良い子たちなのだろうかと胸が熱くなりました。




 しかし、震災はあまりに甚大で、テレビからはエンドレスのエーシー・スポットにはさまれた、悪い夢を見ているような映像が流れる日々が続きました。




 そんな中、ふと心が和らいだのが、避難所の赤ちゃんの笑顔でした。膝の上で無心に笑う赤ちゃん。あやすおじいさんも嬉しそうでした。この映像は癒しだ、と思ったのですが、でもすぐ、今回のことで、お孫さん、そのパパ、ママを失った方にとっては、見るのがすごく辛い光景だろう、とも思いました。




 かけがえのない家族と最悪の形での再会となってしまった方、それすらかなわぬ方が大勢おられることが、心に刺さりました。




 これから先ものすごく困難でも、希望の残された方には「頑張ろう」と言わせてもらいたい気がします。でも、かけがえのない家族を、親を、子を、亡くした方々に掛ける言葉は「頑張ろう」でいいのか、今も良く分かりません。




 人生これからの子供達、若者達に対しては、やっぱり「頑張ろう」なのかな、とも思います。精神的にも、経済的にも、その他も色々な面でとても大変だろうけど、いつか仕事を持ち、自分の家庭を築いたりして、何とか踏ん張って次代を担っていってもらう人達だから。




 全然状況は違うけれど、私が母を亡くした時、叔母が、大丈夫、5年経ったら違っているから、と言ったのを覚えています。実際、5年経ったら、自分の家庭を持つようになり、気持ちもだいぶ変わっていました。




 でも、人生の折り返し地点を過ぎて、掌中の珠を失った方に対しては、この言葉でいいのだろうか、と思います。かといって何と言ってよいか分からず、せめて、そういう方々の慟哭の日々がいつか少しずつ楽になっていったら…と祈っています。




 そして、自分に何ができるかを考えています。




 疲れのたまる避難所でも秩序を保ち、少ない物資を分け合い、助け合う人々。いつ開くとも知れぬスーパーのまわりで、寒い中、粛々と並ぶ人々。世界も称賛した、あのpoliteで強くて優しい人達のために、献金とか、節電とか、買いだめをしない(ちなみに買いだめについては、言い訳めきますが、地震後あっという間に乾電池とかガソリンとかすっかりなくなって、少しも買えなくて、買いだめしようにも物理的にできなかったのです。しないけど)とかいうことの他に、自分に何ができるかということを。




 人間様々ですから、この地域の人のアイデンティティーはこれこれと一つにくくれないでしょうし、盗難なども無いことはないと思います。実際、入学祝いをとられて、ランドセルが買えないという記事を新聞で見たりしました。でも、世界的に見れば被災地でのそういったことの数は驚くほど少ないのではないかと思います。




 そしてその記事を見た徳島の夫婦から、同じ位の孫がいるから、とランドセルが贈られた、という続報をすぐ目にしました。「皆、仲間です」と書いた満開の桜のハガキも添えられていたと、大喜びでランドセルをしょって避難所を走り回る新一年生に、「かっこいいね」と避難所の方々が声を掛けていた、という記事でした。




 チェーンメールや、義援金詐欺や、ネガティブな話もあるけれど、世界がたたえる被災地の方だけでなく、こうした善意の方がいる、ボランティアをしたいという方も大勢いる、そういう国に住んでいることを誇れるのは確かだと思いました。




 頑張ろう、と言うからには、私も頑張らないと、と思っています。たいした力にはなれないかもしれないけれど、自分なりにできることを見つけていきたいと思っています。


                         

    平成23年4月3日   朔