皆様にご提案

 この所、日曜にドラマのことを書いていたのですが。ますます面白かったドラマのことは明日以降書くこととして。



 今日は(とか言って日が変わっちゃったけど)、何故ぼんやり朔さんが今更、あたくしには敷居の高いTwitterを始めたか、前にもチラっと書いたけど、改めて書かせて頂こうかと思います。あたいのことなんざ、どうでもいいって話だけど、なかなか真剣でいじらしいお話なのよ。




 こんなことを書く気になったのは、有川浩さんがTwitter


「映画館に足を運んでくださるお客さんが少なかったら、制作側はその役者さんを『数字を持ってない』と判断し、活躍の場が縮小してしまうのです。 出版も、映像も、ほかのエンタメも同じです。」と書いておられるのを、読んだからかも。




 これは、もともとは、有川さんがブログに「未来の作家を支える為にも新刊書店で新刊本を買うことが大切」と、主に出版界関連で書かれた流れで、「好きな表現者を支える為に」 映画館に足を運ぶ、新刊書店で本を買う、そういったことが大切、と説かれたもののようですが(違ったら教えて)。




 で、はい、新刊本も買うし、(錦戸さんの出る)映画は劇場に観に行くし、興行の成功を左右するという、いわゆる初動にも微力ながら貢献いたします!と思ったんだけど。




 ドラマの場合、どうしましょう、というのがあるのですわね。




 家には視聴率の機械がついていないから、私が見てもカウントされないし。




 電車には一人で乗ることが多いので、あのドラマ面白い、といつもより大き目な声で言ったらアヤシイ人になる感じだから口コミ班にもなりにくいし。私の地味ブログで宣伝しても、読んで下さるごく少数の方は皆さんハナからドラマをご覧になる方々だし。




 そもそも視聴率と面白さは比例しない、視聴率はスポンサーさんが気にすることであって、視聴者は好きなものを見て楽しめばいい。それはまったくその通りだと思うけど、贔屓の人がいて、その数字が、その人の今後のお仕事に無関係ではないのなら、やっぱり気になる。すごく気になる。




 ドラマが決まったら、すごく嬉しいけど、その瞬間から視聴率の心配も始まる。




 今では録画もワンセグもあり、日進月歩のメディアの世界で、50年以上前から測定法がほぼ変わらない視聴率で一喜一憂するってナゾすぎるけど。



 (お茶の間に、録画機能のないテレビが一台だけあって、家族集ってリアルタイムのみでそれを見ていた時代とは、今はだいぶ違いますでしょう?)



 それでも、視聴率がまだきちんと機能するモノサシだとテレビ局の社長さん達が声をそろえて言うなら、こちらが、なんぼ時代に即していないと言ったって、しょうがないのかな〜、なんて脱力して。




 時代への対応の一つとして(?)ビデオリサーチさんが始めたTwitterエコーも、ビデオリサーチさんも周りも、新しい指針としてあんまり育てる気がないみたい?なんて特に昨年のトラウマ以降、たそがれておりました。




 しか〜し、そういうあたいもTwitterエコーを新しい指針として育てる気がないかも、なんて思いましてね。Twitterのアカウント作ったけど使っていなかったし。




 話に聞けば、テレビ番組の放映の1時間前から1時間後の間にツイート・リツイートすると、Twitterエコーの数字に貢献できるとか(勘違いしていたら教えて)。その数字をスポンサーさんが参考にされる向きもあるとか。




 詳しいことは存じませんし、あんまりそれ狙いでいったら本末転倒かと思うけど。素直につぶやいたことで、微力ながら何らかのお力になれるならえぇやん、視聴率への貢献が無理ならば、と思いましてね。





 ありがたいことにTwitterしませんかと以前お友達に声を掛けて頂いたことがあって、その時は尻込みしたのですが、それで、その方に色々教えて頂いて。





 下の娘にもしつこく色々聞いて嫌がられながら、主人に最もTwitterに向かない人間と嘲笑されながら、Twitterを始めたのであります。「根拠を添えて説明し隊」だからスッとつぶやけず四苦八苦しておりますが。




 でね、皆様にご提案というのは、Twitterのアカウントは持っているけど、そのまま放ってあるという方、ドラマの放映中は鑑賞されて、ドラマ前1時間とか、とりわけ実際見て心に感動のあるドラマ放映後1時間の間とかに、ツイートなり、もしそれがハードルが高ければ、リツイートなり、されるのはいかが?ということなんだけど。(リツートについては、あたいの所に、じゃないよ。 皆さんが素直に共感したサムライせんせい関連のツイートに)(ってか恥ずかしくてあたいのアカウントお伝えしていないけど)。




 それがどれ位の力となるか分からないけど、「好きな表現者を支える為に」何もしないより、ちっくとでも何かの力になる可能性があるなら、それやる価値あるのではない?いかがかしら。