にぃにのことを忘れないで7
前回の続きです。(僕は何のために生まれてきたんだよ、と泣いて母に問うシーンの後から)。
病室。グレーのパジャマでクマンバチ・ストラップを見つめる恵介。
ノックして詩織が入ってきます。
「まだ起きてるの?もう寝たら?」 硬い表情の恵介。
点滴を確かめながら詩織は言います。
「ありきたりなこと言ってもさ、物理君のことだから、同情するな、とか怒るだろうけど…。あたしにできることがあったら、何でも言ってね」
硬い表情のまま答えない恵介。出て行こうとする詩織の背中に、恵介は暗い目で言います。
「じゃあ…」
振り向く詩織。
「やらせろよ」
「えっ?」
「何でもしてくれんだろ? じゃ、やらしてくれよ。俺、女の子とデートしたことも、キスしたこともないんだ…。バレンタインとか、クリスマスの思い出もない。友達とドライブしたこともないし、親父と酒飲んだこともない。バイトして給料もらったこともないし、海外旅行だって、まだ、一度だって行ったことがないんだ…」
「…いいよ」
「えっ?」 かすれ声の恵介。
「あたしでいいんなら…」
近づいてきた詩織を、恵介は目を見開いて見上げます。
瞳を閉じて唇を寄せてくる詩織。目を開けたまま固まる恵介。……不意に顔をそむけた恵介は、苦しげに毒づきます。
「ばっかじゃねぇの? 患者の言うこと、いちいち真に受けてんじゃねぇよ。看護士のくせに」
「……恵介君…」
「もういいからあっち行けよ! …行けよ!!」 怒鳴る恵介。
うなだれて出ていく詩織。顔をそむけ、枕の端に頭をあずけたまま恵介は涙を浮かべます…。
僕は最低だ…。人を傷つけることしかできない…。
後日、病院の屋上。血の気のない顔で、ぽつねんと車椅子に座る恵介。
そこへ母からのメールが届きます。しかし、それを読みもせず、携帯を閉じてしまう恵介。沈んだ兄の様子を離れて見ていた優治の顔が曇るのでした…。
その日の夜、病室の恵介は、食事に手を付けることもなく、窓の外をぼんやり見ています。
……大切な人たちを苦しめることしかできない…。
そんな恵介を気遣わしげに見る父母…。
別の日、紺のチェックのパジャマで点滴を押しながら恵介は廊下に出ます。向こうからやってきた詩織が明るい笑顔を作って「調子、どう?」と声を掛けても、下を向いて答えず、通り過ぎていく恵介。
…こんなやつ、いなくなった方がいいんだ…。
その夜、ベッドで膝を立てて空を見る恵介。雲に隠れている月。力なく瞬きをした後、病室に視線を戻して、ふと表情を止めた恵介は、ナースコールのコードを手に取り首に巻き付けます。深く息を吸い、力を込めてコードを引く恵介。紅潮する顔。涙目。むせる喉…。
「ちょっと何してんの?! 何やってんの、恵介?!」 駆けつけた母が叫びます。
「死にたいんだよ! 死なせてくれよ!」 泣き声の恵介。揉み合う二人。
「バカなこと言わないで!」 必死でコードを外す母。
「もう、ほっといてよ。楽になりたいんだ」 しゃくりあげる恵介。
「何言ってんの?!」
「母さんだって、もう本当は看病から解放されたいんだろ? 俺なんか死んだ方が楽なんだろ?!」 ぽろぽろ涙を流して恵介が言います。
「いい加減にしなさい!!」 恵介の頬を思い切り叩く母。驚いた目で母を見上げる恵介。
「苦しいのは、あんただけじゃないのよ…」 涙を溜めた大きな瞳で母を見上げたままの恵介。
「…父さんも、祖母ちゃんも、優治も、私も、あんたが病気になってから、もう、ずぅっと辛い思いしてんの。分かってる? この頃皆あんたを傷つけまいとして、言いたいことも言わないで、自分を抑えて、必死で我慢してるの…」
…顔を下げた恵介は、辛そうに涙を流し続けます…。
「…でも、ほんとにそれでいいのかなぁ、恵介。母さん、父さんも祖母ちゃんも優治も好きだから、皆にそんなことしてほしくない。皆に前の自分取り戻してほしい」
「あんたもよ、恵介。今のあんたは本当の恵介なの? このまま死んでもいいの?!」
そう叫んだ母に苦しげに顔を歪ませて、また涙を流す恵介。首のコードの跡に溜まって光る涙。
「母さんね、あんたにいくら嫌われても、変わる気ないから」
手のひらで涙を拭う恵介。
「恵介、こないだ聞いたよね? 僕は何のために生まれてきたんだって。あれから、そのことばっか考えてた。でもね、そんなこと母さんには、全然分かんない」
「何だよ、それ」
「だけど、こう思うの」 …すすり上げる恵介。
「自分がいったい何のために生まれてきたかって、誰かに教えてもらうことでもなければ、神様が決めることでもない。それ決めんの自分自身なんだって」 すすり上げながら、涙に濡れた睫毛を伏せて聞いている恵介。
「父さんも祖母ちゃんも優治も私も、自分の生き方は自分で考え、自分が決めることなの。にぃにが何で生まれてきたか、にぃにが決めることよ」
そう言った母を見つめる恵介の目から再び大粒の涙がこぼれ、恵介は思わず指でそれを拭います。
雲から月が出るのを泣きはらした目で見上げる恵介、そして母。
青白い光が病室を照らします…。
≪続く≫